アッツ島玉砕に自分の人生を想う

今日はアッツ島玉砕の日です。
1943年5月29日、アッツ島守備隊は最後の突撃を敢行、全滅しました。
「玉砕」という言葉が最初に使われた時でした。
アッツ島玉砕に、自分の人生を振り返り、重ねて思うことがあります。

私は過去、自殺したいという思いにとらわれたことがあります。
人生のすべてにおいて敗北し、このまま生きるのはまさに「虜囚の辱め」と思われ、私は潔く死を選ぼうと思ったのです。
私はまさに自決しようとしたのでした。
けれども玉と砕けることはついにできず、今日まで生きることとなりました。

人はだれでも生きたいと思います。
何が何でも生きたいと思うのは人間として生物としての本能です。
死ぬのは誰でも恐ろしい。
そんな人間としての一線を越えていった兵士たちの心情には計り知れないものがあると思います。
私はその一線をどうしても越えることができなかった。
それはもちろんとてもよかったことだと思いますが、そんな一線を越えねばならなかった彼らの想いというのは、相当なものがあります。それを越えさせたことにも、相当なものがあるのは言うまでもありません。

私は今は自殺しようとは思いません。
なぜなら、死ぬより生きるほうがつらく苦しいからであり、その苦しさと向き合いたいと思ったからです。
人は生きたいと思います。私ももちろん生きたい。
生きたいと思うならば、とことん生きようじゃないかと今の私は思うのです。

敗北は本当に恥ずかしいことなのか?
負けて汚名を着て生きることは本当に恥ずかしいことなのか?
恥ずかしくていいじゃないか、汚名でいいじゃないか、汚れて泥だらけていいじゃないか。
精一杯戦って、弾尽き力尽きたら、潔く降伏しようじゃないか、降伏してそこから生きて、再起を図る時を狙おうじゃないか。
今の私はそう思います。
私の人生は敗北だらけの人生でありました。
それでもいいと思うのです。私はそれでも生きていこうと思っています。

もし当時の日本人たちがそんなふうに思うことができたら、と私は何度も思います。
けれども、当時の価値観と今の価値観は違います。
当時の日本人たちの価値観ではないのです。
当時の日本人の美しさではないのです。

当時の日本人たちが思う美学に死んでいった兵士たちの行動を、今の考え方で裁くことはできません。
当時の日本人にとっては、敗北を選ぶよりも死を選ぶことのほうが貴かった。
それは冷厳な事実でした。
その価値観に殉じていった彼らの魂を思ったときに、私は複雑な思いにとらわれます。

アッツ島守備隊は降伏せず、最後の最後まで突撃を行い、死んで果てました。
それは「背水の陣」の考え方でもあるでしょう。
死を覚悟することでよりよく戦う。
死を意識することでよりよく生きる。
それは敗北主義ではないはずです。平たく言うところの「逃げ」ではないはずです。
よりよく生きるための一つの考え方でもあるかもしれません。
それはわかっているのですが、もし降伏する勇気があればと思うのですが、それは現代の価値観でしかないのでしょう。
アッツ島で死んでいった兵士たちの魂を思うと、私は胸をかきむしられるような思いにとらわれます。

このアッツ島の玉砕を皮切りに、次々と太平洋の島々で玉砕が行われていきます。
そして、日本は降伏へと転げ落ちていくのです。
日本は降伏しましたが、それから復興に努力し、そして今の日本があります。
ひたむきに生きた日本人の姿がありました。
私も同じようにひたむきに生きていきたいと思います。
敗北や失敗があっても、それに負けることなく、ひたむきに生きていきたいと思います。
それが玉砕して死んでいった兵士たちの「生きたい」という無念にこたえる最大級の献花だろうと思います。
 
 
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