人間の苦しみを見つめ続ける ~戦争を理解するために~

戦争を考えるとは、人間の苦しみを見つめることだと思います。
人類の行為の中で最大級の人災が戦争だと思います。
戦争は人の行為で行われるわけですが、その人が生み出す最大の苦しみが戦争ではないかと考えています。
すなわち、戦争を見つめるとは、人間の苦しみを見つめることだと思うのです。

人間の苦しみを見つめ続けることもまた、つらく苦しいことだと思います。
苦しみを受け止めて自分の心に受け容れる。それもまた、つらく苦しいことです。
誰もが苦しみから目をそむけたいと思うでしょう。できれば向き合いたくないという気持ちも理解できます。
けれども、苦しみを見つめるという気持ちがなければ、戦争はとらえられないと思うのです。

現代の風潮として、苦しみを見つめることを避けるということがあるように思います。
誰もが苦しみと正面から向き合おうとせず、できれば避けて通りたい、できればふたをして切り抜けたい、逃げたいという風潮があるように思われます。
過去はそうではなかったように思います。戦後から高度成長期時代までは、人間の苦しみを真正面から見つめて受け止めるという考え方が誰にもあったように思われます。苦しみから逃げずに正面から受け止めて乗り越えるという気概があったように思われます。
ところが、昭和から平成の世になって、今になるにつれて、苦しみを正面から受け止める行動はバカバカしくて、うまく逃げるのが美徳というふうに変わってきたように思います。
それはそれで否定をするつもりはなく、人間が人の世を生きる処世術として必要な行動であるかもしれません。
けれども、戦争を考えるときは、それでは理解できないと思うのです。
戦争とは苦しみです。少なくとも私はそう考えています。
その苦しみを真正面から受け止める気概がなければ、戦争は理解できないように思うのです。

私自身は苦しみから目をそらさずに真正面から受け止めたいと考えている方ですが、まだまだ苦しみを真正面から受け止める力がなくて、その苦しみに押し流されてばかりで、結果として戦争を理解することについても、まだまだ浅いと思います。そのような私ではありますが、それでもやっぱり、苦しみから目をそらそうという姿勢からは戦争はよりもっと理解できないのではないか、といつも思うのです。
私のような姿勢は、現代の世においては、非常にばかばかしく滑稽に見えるかもしれません。
それでも私は苦しみを見つめ続けたいと思います。正面から受け止めたい。
それが第二次世界大戦というあの戦争を理解する一つの重要な道になるのではないかと考えています。
 
 
スポンサードリンク


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です