負ける者の美しさ。なぜ第二次世界大戦が好きなのか

「やっちがなぜ第二次世界大戦が好きなのか。それは日本が負けたからだ」
と私の友人の銀河孔明さんは言いました。
それは非常に鋭い指摘で、私の核心を突いた指摘であったと思います。
なぜ私は第二次世界大戦が好きなのか。
なぜ生まれてから40年、第二次世界大戦を愛し続けてきたのか。
それはひとえに日本が負けたからだと思います。
もし日本が勝利していれば、ここまで熱を入れることはなかったかもしれません。
なぜ日清戦争でも日露戦争でもなくて、第二次世界大戦なのか。
大東亜戦争・太平洋戦争なのか。
それは、日本が負けたからです。
負ける者の美しさに魅せられたからだと思うのです。

私が最初に第二次世界大戦に興味を持ったとき、小学生の頃、
「なぜ日本は負けたのか」
ということをずっと考えていました。
それはとても悔しい出来事でした。
日本が負けたことが悔しくて悔しくて仕方がなかったのです。
そして、どうして日本が負けてしまったのか、どうして日本は勝てなかったのか。
勝てる方法はなかったのか。
一人でずっと考えていました。
そんな小学生時代でした。

そして今も私は第二次世界大戦を愛しています。
なぜ今でも第二次世界大戦なのか。
それは負ける者の美しさであろうと思います。
勝者には美しさがあります。
もちろん私だって勝者になりたいです。敗者にはなりたくありません。
それを踏まえたうえで、勝者以上に敗者には美しさがあるように思われます。
負けることの美しさ。
苦しみに耐える姿こそ人間にとってもっとも高貴な姿だと思いますが、戦いに負ける人間には、そのような美しさと高貴さがあるように感じます。
日本軍だけではなく、ドイツ軍にも私は感情移入しますが、なぜドイツ軍かといえば、やはり負けたからだろうとも思います。

もし私がアメリカ人として生まれたならば、おそらくヴェトナム戦争に興味を持ったかもしれないと思います。
第二次世界大戦はアメリカが勝利した戦争であり、ヴェトナム戦争はアメリカが敗北を喫した戦争です。
そんなヴェトナム戦争に戦争の哀しさを感じ、敗北する人間の美しさを見出していたかもしれないと思ったりします。

なぜ日本は負けたのかと小学生の頃の私はひたすらに嘆き、ああすれば勝てた、こうすれば勝てたかもしれないと、盛んに空想を繰り広げました。
そんな少年時代が今の私の第二次世界大戦の原形になっていると思います。
敗者の美学がそこにあるように感じます。
 
 
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