死ぬときは「おかあさん」。母の日に想う

今日は母の日ですね。
私の母はありがたいことに今でも元気に生きていまして、今日も無事に花を渡すことができそうです。
今年もまた無事に花を渡すことができることを神様に感謝したいと思います。

母と聞いて思うのは、第二次世界大戦において、「おかあさん」と叫んで死んでいった兵士たちのことです。
私が好きな本の一つに「戦争体験の真実」(滝口岩夫著)という本がありますが、この本の中では日本軍が捕虜にしたアメリカ兵の描写があり、やはりさみしくて「おかあさん」と叫ぶアメリカ兵の姿が描かれています。
母を叫ぶ兵士たちの姿というのは、日本人だけでなく、古今東西人間に共通する姿なのだろうと思います。

母を叫ぶというのは、それだけ年が若いということでもあろうと思います。
もちろん結婚もしていないでしょう。
既婚者であれば妻の名を叫んだかもしれません。
思えば、当時兵士になったのは20代、あるいは10代の若者です。
戦争が苦しくなってきた後期においては、少年と呼ぶしかないような若者たちが相次いで駆り出されていきました。
そんな少年たちが「おかあさん」と叫んだのは、当然の姿だろうと思います。

私はそんなふうに「おかあさん」と叫んだ兵士たち若者たちを情けないとか男らしくないとか思うことはまったくありません。
それはとてもナチュラルで自然な感情だと思うのです。
人間として普遍的で自然な感情を発露するというのに、なぜ否定する必要がありましょうか。
誰にとっても母は何歳になっても大事なものだろうと思います。

そんな今日、北朝鮮が弾道ミサイル1発を発射したというニュースが飛び込んできました。
母の日にとんだプレゼントです。
新しく誕生した韓国文在寅政権へのご挨拶なのだろうと思いますが、太陽政策の継承を掲げる文政権へのご挨拶にしては少々乱暴にすぎやしませんか?と私は思いました。
韓国や北朝鮮に母の日があるかはわかりませんが、韓国でも北朝鮮でも母は母です。
アメリカ軍の兵士も北朝鮮の兵士もひとたび戦争となれば「おかあさん」と叫んで死んでいくことになるでしょう。
そしてお母さんは泣くことになるのです。
いつの世も死ぬのは男で泣くのは女です。

弾道ミサイルがついに発射された今日の母の日に、第二次世界大戦のときの「おかあさん」と今の北朝鮮情勢での「おかあさん」を想います。
 
 
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